2026/09/17 08:41

ミルクバター、ロイヤルミルクティー、ラムレーズン、クロテッドクリーム。
その中でも、ラムレーズンファッジは、最初から「これを作ろう!」と熱い思いを持って生まれた商品ではありませんでした。
むしろ、最初はもっと軽い気持ちだったんです。
「チョコレートや焼き菓子でもラムレーズンって定番だし、ファッジにも合うんじゃない?」
そんなところから始まりました。
ところが、作って、調べて、英国を実際に歩いてみるうちに、だんだん面白いことが見えてきました。
ラムレーズンファッジって、英国のお菓子として考えると、意外と自然な組み合わせなんじゃないか。
今日は、そんなラムレーズンファッジが生まれた背景のお話です。
そもそも、なぜラムとレーズンなのか
まず、レーズン。
焼き菓子にレーズンを入れると、熱が加わることでレーズンが乾燥して固くなったり、逆に生地の水分を吸って、生地そのものが固くなったりすることがあります。
そこで、ラム酒の登場。
レーズンに水分を補いながら、ラムの香りを加えることができます。
しかも、ラム酒独特のコクや少しスモーキーな香りは、レーズンの甘酸っぱさとよく合います。
これは昔からある組み合わせです。
だから僕も、
「ラムレーズンなら、まあ間違いないよね」
くらいの気持ちで作り始めました。
ところが、ここから話が少し変わってきます。
ラム酒とレーズンを調べているうちに、どうしても気になってきたのが、ラム酒の原料である砂糖でした。
砂糖とラムをたどっていったら、カリブ海に着いた
ラム酒は、サトウキビから砂糖を作るときに生まれる糖蜜などを原料にします。
そして、その砂糖やラム酒の歴史をたどっていくと、カリブ海につながっていきます。
17~18世紀のイギリスでは、カリブ海などから砂糖が大量に入ってくるようになりました。
ただですね、ここには目をそらしてはいけない歴史があります。
当時の砂糖生産は、アフリカから連れてこられた人々を奴隷として働かせるプランテーションに大きく依存していました。
イギリスでは砂糖の消費が広がり、紅茶やコーヒー、チョコレートなどに砂糖を入れる習慣も定着していきました。
砂糖がより身近なものになっていった背景には、こうした大西洋交易と奴隷制が深く関わっています。
つまり、今では当たり前のように使っている「砂糖」という食材にも、長く複雑な歴史があるんです。
そして、その砂糖やラム酒は、英国の港町へ運ばれてきました。
英国の港町に入ってきた砂糖とラム酒
たとえばリバプール。
ビートルズやサッカーで有名な港町です。
18世紀のリバプールは大西洋交易の重要な港となり、砂糖やラム酒など、カリブ海からのさまざまな商品が入ってきました。
そして、もう一つノムさんが興味を持ったのが、湖水地方の玄関口ともいえる港町、ホワイトヘイヴンです。
ここも西インド諸島との交易が盛んで、砂糖やラム酒、糖蜜などが入ってきていました。
現在のホワイトヘイヴンには、その歴史を伝える「The Rum Story」という施設もあります。
1785年創業の商家が、西インド諸島からラム酒、砂糖、糖蜜などを輸入していたことが紹介されています。
ノムさんがこの話を知ったとき、
「なるほどなぁ」
と思いました。
なぜかというと、ノムさんは以前から、「なんでコーンウォールにはファッジショップが多いんだろう?」と気になっていたからです。
その答えを探しているうちに、砂糖やラム酒の歴史までつながってきた。
食べ物って、調べていくとほんと面白いです。
砂糖が広がると、英国のお菓子も広がっていった
昔の砂糖は、今のように誰でも気軽に買えるものではありませんでした。
16世紀のイギリスでは、砂糖は王侯貴族や富裕層の食卓で使われる高価なものでした。
ところが、砂糖の輸入が増え、次第により多くの人が砂糖を使えるようになります。
レシピにも砂糖を使った菓子が増えていきました。
17~18世紀には、砂糖は英国の食文化そのものを大きく変えていきます。
英国議会の資料でも、砂糖の普及とともに菓子やデザート、そして砂糖を使う店が増えていったことが説明されています。
もちろん、その背景にあった奴隷制を忘れてはいけません。
甘いお菓子が広がっていった歴史の裏側には、決して甘くない歴史がありました。
ここを知ったうえで英国のお菓子を見ると、今までとは少し違って見えてきます。
一方、英国には乳製品を生み出す文化があった
そして、もう一つ大事なのが乳製品です。
ファッジは、砂糖だけのお菓子ではありません。
バターやミルク、クリームなど、乳製品がとても重要な役割を持っています。
英国では古くから酪農が行われ、特に西部では牛乳、バター、チーズ、クリームなどが作られてきました。
コーンウォールは、その代表的な土地の一つです。
温暖で雨の多い気候のおかげで牧草が育ちやすく、乳牛を飼うのに適した環境があります。
コーンウォールでは19世紀後半に、穀物栽培から酪農へ大きく移行していったことも記録されています。
クロテッドクリームがコーンウォールの食文化として根付いているのも、そう考えると納得できます。
ノムさんのお店でも扱っている100年以上の歴史があるクロテッドクリームの老舗・ロダス社があるのも、コーンウォールです。
つまり英国には、
砂糖を使ったお菓子が発達する環境と、乳製品を作る環境。
その両方があったわけです。
コーンウォールと湖水地方を実際に歩いてみて
ノムさんはコーンウォール半島を実際に車で走ったことがあります。
ロンドンのヒースロー空港でレンタカーを借りてひたすら西へ走ります。
ほぼまっすぐな道が500㎞続きます。
コーンウォールに近づくにつれて建物がだんだんと少なくなってきて、
「道は牧場と牧場の間に作らなくてはならない」
法律があると思うくらい、牧場が続いていきます。
牛がいて、草原があって、その向こうにまた牧場。
湖水地方を訪れたときも、同じような印象を受けました。
そうそう牧場の垣根が、コーンウォールは土(中は石かもしえませんが)を積んで作られていて草花が綺麗でした。
訪れた6月は垣根と垣根を新緑が覆って、まるで緑のトンネルを走っているようでした。
一方、湖水地方は平べったい石を重ねて作られていて、その違いが面白かったです。
もちろん、英国全土がそうだったわけではありません。
でも、実際にその土地を歩いてみると、
「ここなら、牛乳やバター、クリームが身近にあったんだろうな」
と感じるんです。
そして、そこに砂糖が入ってくる。
さらに、港からラム酒やさまざまな食材が入ってくる。
そう考えると――
ラムレーズンファッジが、この土地で生まれても不思議じゃない
と思いませんか?
砂糖。
乳製品。
ラム酒。
そして、英国のお菓子文化。
もちろん、これだけで「ラムレーズンファッジはこうして誕生した」と歴史的に断定できるわけではありません。
でも、僕が英国を歩き、食文化を調べながら感じたのは、
ラムレーズンとファッジという組み合わせは、英国の食文化の中で考えると、ものすごく相性のいい組み合わせなんじゃないか。
ということでした。
最初は、
「ラムレーズン、定番だし作ってみようかな」
だったんです。
それが、調べれば調べるほど、英国の歴史や土地とつながっていった。
だから今では、ノムさんにとってラムレーズンファッジは、単なる「ラムレーズン味のファッジ」ではなくなっています。
そしてOHISAMAは、そこから何を考えたのか
そんな背景を知ったからこそ、OHISAMAでは「せっかくなら、本当にラム酒の香りを感じるラムレーズンファッジを作ろう」と考えました。
ファッジは、乳製品の香りがしっかりしています。
それはファッジのおいしさでもあるのですが、同時に、他の香りを包み込んでしまうところもあるのが難点です。
特にラム酒のような香りは、普通に混ぜただけでは、思ったほど前に出てきません。
そこでOHISAMAでは、仕上げにラム酒をダイレクトに塗るようにしました。
結果として――
かなりガツンとラム酒の匂いが来るファッジになりました。
「ラムレーズン味」と聞いて、
「ほんのりラムの香りがするくらいかな」
と思って食べると、ちょっと驚くかもしれません。
でも、レーズンの甘酸っぱさと、ファッジそのものの濃厚なミルク感。
そこにラム酒の香りが重なる。
紅茶を一口飲んで、またファッジを一粒。
そんなふうに食べていると、
「この組み合わせ、やっぱりいいな」
と思ってもらえるはずです。
そして、もしよかったら。
ファッジを食べながら、少しだけその背景にも思いをはせてみてください。
遠いカリブ海で育てられたサトウキビ。
大西洋を渡って英国の港へ運ばれた砂糖やラム酒。
英国の食卓に広がっていった砂糖文化。
そして、牧草地で育った牛から生まれるミルクやバター。
ファッジは、見た目はとてもシンプルなお菓子です。
でも、その一粒の中には、土地や人、交易や歴史が重なっています。
甘いファッジだけど、その歴史は決して甘くない。
だからこそ、そのことも知ったうえで今日のティータイムに、ラムレーズンファッジを一粒。
紅茶と一緒に、ゆっくり楽しんでもらえたら嬉しいです。
書いている人 ノムさん
広島生まれ。英国菓子と紅茶のある暮らしOHISAMA代表。
公務員の家庭に育ち、大学を卒業後は食品会社に就職。一念発起して会社を退職し、宮島でパン屋を創業したものの繁忙期と閑散期のギャップから体調を崩し僅か5年で離島。その後、業種を変えながら再起を図るもうまくいかず、借金が2,500万円まで膨れ上がる。
これが最後の挑戦と覚悟を決め、安定した人気のスコーンを深堀りしていくことに。すると、その原点であるスコットランドのスクーン城にたどり着き、そこから英国菓子に興味が広がっていく。何世紀も変わらないレシピや伝統といった神秘性にハマり、店では全然売れなかったがとにかく作り続けて、売れ残ったものを食べる日々を過ごす。
そんなある日、東京の英国展に招待されてから人生が大きく動き始める。広島でも英国菓子が売れ始め、中でもファッジは借金を完済できるようになるまで経営の柱に成長。今では英国へファッジの取材へ行ったり、ファッジの歴史を調べることが大きな生きがいになっている。
