2026/09/26 08:00

正確に言うと、レンタカーで2000km、飛行機で1000km移動しました。
コーンウォールへ行って、エジンバラへ飛んで、湖水地方へ行って。
「ファッジを探しに英国まで行く」
と言うと、ちょっと大げさに聞こえるかもしれません。
でも、ノムさんにとっては大げさでもなんでもありませんでした。
ファッジを作れば作るほど、だんだん疑問が増えてきたんです。
「英国では、実際にどんなファッジが売られているんだろう?」
「どんな店で売っているんだろう?」
「どんな人が買うんだろう?」
「そもそも、英国の人たちはファッジをどう食べているんだろう?」
そんなことが頭の中を毎日ぐるぐる回っていました。
ネットで検索すれば、そのお店が代表するファッジについて知ることはできます。
でも例えば、シーソルトのファッジをホームページやInstagramに掲載するでしょうか。
ご存知の通り、シーソルトは多くのファッジショップで当たり前のように作られています。
あまりにも普通なので、わざわざ発信する必要がありません。
すると、
「コーンウォールのファッジショップで、シーソルトが売られているのはなぜなのか」
という疑問を持つこともありません。
「製塩」「炭鉱労働者」「酪農文化」「港町」「カリブ海の島々から届く砂糖」。
そんな言葉にも、なかなかたどり着かない。
そして、それらがつながって何かを生むこともない。
つまり、日本でノムさんがシーソルトのファッジを作ることもなかった。
だったら、自分で見に行くしかないですよね。
訪れる場所は3つに絞りました。
コーンウォールとエジンバラ、そして湖水地方。
コーンウォールの港町には、必ずと言っていいほどファッジショップがあります。
その多さには、きっと理由があるはずです。
エジンバラと湖水地方は、コーンウォールほどショップは多くありませんが、歴史のある老舗があります。
長く続いている店には、一言では語れない有形無形のものがあるはずです。
そんなお店をできるだけたくさん見て、ファッジを深く理解したいと思いました。
6月にお店を休みにして、英国へ出発。
早朝にロンドン・ヒースロー空港へ到着すると、日本で予約しておいたレンタカーをピックアップ。
モーターウェイ(英国の高速道路)のA303をひたすら西へ向かいました。
1時間ほど走っていると、右手にかの有名なストーンヘンジが突然姿を現しました。
「まじかー!」
「近くで見たい!」
でも、立ち寄っていたらファッジショップを回り切れません。
泣く泣く通り過ぎて、、、と言いたいところですが、実はストーンヘンジを通り過ぎた途端すぐに忘れていました。
目の前に広がる、牧場の緑と空の青さに目を奪われていたからです。
そして、
「走っても走っても牧場ばかりって、そりゃファッジを作るよねえ」
と、妙に納得している自分がいました。
コーンウォールで20店舗
コーンウォールでは3日間かけて、20店のファッジショップを回りました。
そのどれもが、港町にありました。
通りには土産物屋が多く、人々の服装を見ても観光地だということがすぐにわかります。
でも家も多く、犬を連れて散歩する人もよく見かけました。
どちらかといえば、普通の生活の隙間に観光がある。
そんな印象です。
宮島に住みながらパン屋を営んでいたので、こういう観察は得意です。
ファッジの売り方にも、それが表れていました。
お土産にできるようデザインされた袋にパッキングされた売り場と、四角い棒状になったファッジを量り売りする売り場が、同じ店にある。
店主と親しげに話しているお客さんも、何度も見かけました。
ファッジというものが特別なものではなく、その土地の暮らしの中にある。
そんな感じがしました。
そして、種類の多さには圧倒されました。
どこも20種類以上。
聖地の鉄板ファッジは、「シーソルト」「ハニーコーム(はちみつの塊)」「クロテッドクリーム」。
日本に帰国してから、あらためてネットで調べ直してみました。
でも、やっぱりどこにも載っていない。
現地に足を運ぶのは、つくづく大事なことだと思わされました。
ホテルに帰って、買ってきたファッジを食べてみると、
「ねっとり、むっちり」
やわらかい。
けれど、砂糖の粒々とした結晶を舌や歯に感じます。
歯切れもいい。
ノムさんが作っているファッジとは、明らかに違いました。
、、、ちょっと不安になりました(笑)。
もう一つ印象的だったのが、「CORNISH」という言葉。
商品名や店名に、堂々と掲げているところがたくさんありました。
ノムさんは「広島の」とか「瀬戸内の」とか、どこか日和った感じがして毛嫌いしていたんです。
でも、地元を堂々と表現するお店をたくさん見て、その考えをあらためることにしました。
印象的だったお店は、「Roly's Fudge Pantry」と「Granny Wobbly's Fudge Pantry」。
店内にある銅鍋で職人がファッジを炊き上げ、店中が甘い匂いで満たされている、数少ないファッジショップでした。
他の店では、セントラルキッチンから運ばれてきたものを陳列しているところも多かったです。
聖地では、どの店も店内で手づくりしているに違いない。
勝手にそう思っていたノムさんは、ちょっと残念な気持ちになりました。
ところで、英国の駐車場は前払いシステムです。
どのくらい駐車するかを決めて、先に駐車代を払います。
英語能力が怪しいノムさんは、掲示板に書いてあることが理解できず、
「1秒でも遅れたら通報される!」
と思い込んでいました。
車から降りたら、とにかくずっと走る。
だから日本へ帰国して体重を計ったら、6kgも落ちていました(笑)。
エジンバラまで日帰り
コーンウォールからロンドンへ戻り、「THE FUDGE HOUSE」へ行くためだけに、日帰りでエジンバラへ飛びました。
70年以上も続く秘訣を知りたかったのです。
エジンバラ城に続く石畳の坂道の途中に、その店はありました。
看板には、
「MADE BY HAND」
の文字。
それを見られただけで、十分でした。
日本にもう帰ってもいいとさえ思いました。
「機械は使っているけど、全部手作業だよ」
英語力は極めて怪しいノムさんですが、同じファッジ職人ですから、こういうこと(だけですが、、、)は分かります。
「毎日ちょっとずつ工夫することが大事なんだ」
ファッジを均等に分ける、見たこともない道具について質問すると、そんな答えが返ってきました。
たぶん、道具だけではないはずです。
作り方も、売り方も、その時代、その時代で工夫してきたから、今があるんだろうなと思いました。
ファッジと一緒に、タブレットを1種類だけ作っていました。
ファッジとほぼ同じ材料を比較的高い温度で煮詰めることで、ほろほろっとした食感に仕上げる、スコットランドの伝統的なお菓子です。
ファッジ全盛期なのに、こういう古いお菓子を作り続ける姿勢に、しびれました。
ノムさんはまたいつか、ここに戻って来る気がしました。
湖水地方の老舗で、ちょっと安心する
1世紀以上の歴史がある湖水地方の名店「The Toffee Shop」も印象的でした。
店名のトフィーは、タブレットよりもさらに高い温度で煮詰めたお菓子。
例えるなら、ミルクキャンディーといったところです。
これもとても古いお菓子で、基本の味が1種類だけ売られていました。
「THE FUDGE HOUSE」といい、こちらのお店といい、どうして老舗は、古いお菓子を大切にするんでしょうね。
そしてファッジはOHISAMAと同じ、サクホロ食感でした。
、、、ちょっと安心しました(笑)。
英国のファッジショップの多くが「ねっとり、むっちり」したファッジを作る中で、まったく違う食感を追求して、今の地位を築いている。
これは、かなり勇気づけられました。
英国の獅子、ここにありです。
さて日本のOHISAMAは。
「THE FUDGE HOUSE」には、チャールズ皇太子時代の写真が店内に飾られていました。
ファッジを一緒に作っている写真です。
店内の写真を撮ろうとすると、客として訪れていたご夫婦が、その写真が背景になるように、
「もっと右に立って」
と言いながら、代わりに撮影してくれました。
ノムさんみたいな仕事をしていると、お客さんを見れば、そのお店がどんなお店なのか、だいたい分かります。
「THE FUDGE HOUSE」はどうだったかって?
素敵なご夫婦に、チャールズ皇太子。
しかもノムさんも訪れた。
奇跡のお店に決まっているでしょ。
翌日。
予定していた帰国便に搭乗して2時間経っても、なかなか飛び立ちません。
座席で待たされている間、OHISAMAと英国のファッジの違いについて考えていました。
結論から言うと、味や食感の違いはあるけれど、ファッジとして間違っているわけではない。
そう思いました。
英国の中ですら、地域ごとに違うファッジが作られています。
でも、全部ちゃんとしたファッジ。
OHISAMAが英国で和風のファッジを作って売ったとしても、たぶん認めてもらえる気がします。
ただ、簡単には埋められない違いがあるとすれば、近所の人が犬の散歩のついでにファッジを買いに来るような文化。
OHISAMAのファッジがそこまでになるには、10年以上かかるかもしれません。
ところで欠航が決まりました、、、。
再出発は24時間後。
時間がたくさんできました。
どうやったらファッジを日本で文化にできるのか。
じっくり考えてみようと思います。
続きは、また。
書いている人 ノムさん
広島生まれ。英国菓子と紅茶のある暮らしOHISAMA代表。
公務員の家庭に育ち、大学を卒業後は食品会社に就職。一念発起して会社を退職し、宮島でパン屋を創業したものの繁忙期と閑散期のギャップから体調を崩し僅か5年で離島。その後、業種を変えながら再起を図るもうまくいかず、借金が2,500万円まで膨れ上がる。
これが最後の挑戦と覚悟を決め、安定した人気のスコーンを深堀りしていくことに。すると、その原点であるスコットランドのスクーン城にたどり着き、そこから英国菓子に興味が広がっていく。何世紀も変わらないレシピや伝統といった神秘性にハマり、店では全然売れなかったがとにかく作り続けて、売れ残ったものを食べる日々を過ごす。
そんなある日、東京の英国展に招待されてから人生が大きく動き始める。広島でも英国菓子が売れ始め、中でもファッジは借金を完済できるようになるまで経営の柱に成長。今では英国へファッジの取材へ行ったり、ファッジの歴史を調べることが大きな生きがいになっている。
