2026/10/04 08:00


東京の英国展で、英国で作られたファッジを食べたんです。

「……あれ?」

ノムさんが作っているファッジと、食感が全然違う。

砂糖の結晶のザラザラした感じはあるのですが、かじるとねっとりしています。

サクホロではないのです。


「自分が作っているものは、本当にファッジなんだろうか?」


胸の辺りが、ぞわぞわしてくるのを感じました。

否定されるかもしれないと思うと、売り場の人に怖くて質問することもできませんでした。


それで広島に帰ってきてから、英国のファッジのレシピ本を片っ端から取り寄せました。

日本のレシピ本と違って、作業工程の写真はおろか、完成写真すらないものが9割。

もやもやを解消するために、わざわざ高いお金を出して買ったのに、、、。

もやもやは、どんどん大きくなっていきました(笑)。

もうこうなったら、現地まで確かめに行かないと気が済みません。


今年の6月のとある日。

レンタカーを借りて、コーンウォールを走り、湖水地方まで行き、さらにエディンバラへ飛びました。

ファッジショップを訪れては写真を撮らせてもらい、話を聞かせてもらえれば根掘り葉掘り質問。

厨房を見せてもらえたら、機械についても質問しました。


20店以上も回って、食べたり、話を聞いたりしていると、だんだん傾向が見えてきました。

それは、煮詰める温度。

その違いが、食感につながっていたことが分かりました。


OHISAMAはサクホロ。

英国、特にコーンウォールの港町のファッジショップで食べたものには、もっとやわらかく、ねっちりしたものが多かったんです。

「なるほど。違っていたのは、味だけじゃなくて、作り方もだったんだ」

、、、なんて、のんきに言えるほど、このときは心に余裕なんてありませんでした。

だって、あまりにも違いすぎて、ショックのほうが大きかったからです。


英国では、柔らかいファッジだからこそ、違う味のファッジを重ねて、一つのお菓子にしているものもありました。

見た目もカラフルです。

つまり、食感が違えば、できる表現も違うということです。

OHISAMAのファッジ生地は、冷えると固まるのが早い。

だから、2つの異なる味をくっつけるのは至難の業です。


でも英国を走り回っていると、OHISAMAと英国のファッジの違いは、食感だけではないことにも気づきました。

砂糖や酪農の歴史。

土地と港のつながり。


そして、手作りにこだわる職人たち。

老舗のファッジショップでは、手包みをしたり、道具を工夫したり。

それぞれの店が、自分たちのファッジを作り続けていました。

「日々、工夫することが大事だよ」

そんな言葉を、さらりと、けれど重たく教えてくれた職人さんもいました。


英国には、ファッジというお菓子だけでなく、ファッジを取り巻く文化がありました。

そして英国を見れば見るほど、

「やっぱり自分のファッジは、英国のものとは違うな」

と、複雑な気持ちになりました。


日本に帰ったら、レシピも作り方も全部変えなきゃいけないのか。

これまで買ってくれたお客様には、どう説明しよう。

これからのお客様には、何と言えばいいんだろう。

考えれば考えるほど、食欲がなくなります。

食費を節約できるので、貧乏旅行にはちょうど良かったのですけどね(笑)。


そんな英国滞在5日目。

湖水地方の100年以上続く「The Toffee Shop」へ行きました。

店内の壁には、チャールズ皇太子が来店したときの写真が飾られています。


そこで作られていたファッジは、、、なんと、OHISAMAと同じようなサクホロ食感!

「あった、、、」

英国のファッジは、全部が柔らかいわけじゃありませんでした。

サクホロのファッジも、ちゃんと英国にあったのです。


ノムさんは、ホッと胸をなでおろしました。

「英国には英国のファッジがあるし、OHISAMAにはOHISAMAのファッジがある」

そう思えた瞬間でした。


英国のファッジを、そのまま日本に持ってきたいわけではありません。

英国で見て、食べて、作り方を学んで。

そのうえで、日本で「これはOHISAMAだね」と思ってもらえるファッジを作りたい。


英国に答えを探しに行って、最後に見つけたのは、

「自分のファッジも、これでいいんだ」

という答えだったのかもしれません。


目の前には、

「日本にファッジの市場を作る」

その道しかありません。

前に進むだけです。



書いている人 ノムさん 広島生まれ。英国菓子と紅茶のある暮らしOHISAMA代表。 公務員の家庭に育ち、大学を卒業後は食品会社に就職。一念発起して会社を退職し、宮島でパン屋を創業したものの繁忙期と閑散期のギャップから体調を崩し僅か5年で離島。その後、業種を変えながら再起を図るもうまくいかず、借金が2,500万円まで膨れ上がる。 これが最後の挑戦と覚悟を決め、安定した人気のスコーンを深堀りしていくことに。すると、その原点であるスコットランドのスクーン城にたどり着き、そこから英国菓子に興味が広がっていく。何世紀も変わらないレシピや伝統といった神秘性にハマり、店では全然売れなかったがとにかく作り続けて、売れ残ったものを食べる日々を過ごす。 そんなある日、東京の英国展に招待されてから人生が大きく動き始める。広島でも英国菓子が売れ始め、中でもファッジは借金を完済できるようになるまで経営の柱に成長。今では英国へファッジの取材へ行ったり、ファッジの歴史を調べることが大きな生きがいになっている。