2026/10/12 08:00

ファッジを作り始めた頃、まさかこれがOHISAMAの中心になるなんて、まったく思っていませんでした。
当時、英国菓子のレシピ本を見ながら、焼き菓子やケーキをいろいろ作っていたんです。
でも、だんだん同じようなものばかりになってきて、
「ちょっと違うものを作ってみようかな」
そんな軽い気持ちで作り始めたのが、ファッジでした。
それまで作っていた英国菓子の中で、一番力を入れていたのは、やっぱりスコーンです。
ちょうど百貨店のスコーンパーティーが盛り上がっていて、広島のお客様からもスコーンを求められていました。
世の中の流れもあって、よく売れたんです。
こうなると、そっちにさらに力を入れるのが商売人の性です(笑)。
お店だけではありません。
オンラインストアの注文もひっきりなし。
卸販売のお声もかかるようになり、スーパーでも、カフェでも、道の駅でも、すさまじい勢いで売れていきます。
だから、SNSの発信もスコーンばかり。
他の英国菓子やファッジは、その隙間にほんの少しだけという状態でした。
あれほどファッジのおいしさに感動したくせに、その可能性を信じ切れていなかったんですね。
当時のノムさんは、「英国菓子屋として認知してもらいたい」と思っていました。
だから、ファッジだけを発信するなんて考えもしなかった。
スコーンも。
ケーキも。
ビスケットも。
ウェルシュケーキも。
そしてファッジも。
「英国菓子、ちゃんと作っていますよ」
という店にしたかったんです。
それ自体は間違いじゃなかったと思います。
でも、ある時から、お客様の反応に違和感を持つようになりました。
スコーンを買ってくださるお客様は、スコーンだけを買っていかれるんですね。
それ以外のお菓子は、ほとんど買われません。
目指しているお店の姿と、少しずつギャップが生まれていました。
もう一つ、だんだん苦しくなってきたことがあります。
新商品です。
お客様は、新しいものが好きです。
当然ですよね。
「今度は何が出るんだろう」
「次はこれを食べてみたい」
そう思ってもらえるのは、作る側としてもうれしいことです。
でも、これを続けていると、作る方は大変です。
新商品を作るには、レシピを考え、試作し、原価を出し、商品名を考える。
値札や品質表示を作り、写真を撮り、オンラインページを作って、SNSで紹介する。
一つの商品を出すまでに、全部合わせれば半日はかかります。
新商品を考えること自体が悪いわけではありません。
ただ、看板商品があれば、そこまで悩まずに済むこともあります。
じゃあ、ファッジを看板商品にするために何をしていたかというと、、、。
「そりゃ売れんわ」ということばかりやっていました(笑)。
売り場でファッジを目立たせていない。
SNSでも、ほとんど発信していない。
缶に入れているから、中身も見えない。
なのに、試食もしていない。
そのうえ、紅茶の缶と間違われることまである。
これで「なんでファッジが売れないんだろう?」って悩んでいたんですから、ノムさんは本当におめでたいですね(笑)。
英国展に出るようになって、他のお店を見る機会も増えました。
紅茶なら紅茶。
アフタヌーンティーならアフタヌーンティー。
スコーンならスコーン。
フィッシュ&チップスならフィッシュ&チップス。
「この店は、これを買いに来る店なんだな」
そういうのが、すごく分かりやすいんです。
その一方で、自分の店を見ると、
「あれ? OHISAMAって、何を買いに来る店なんだ?」
それに、僕だけが迷っていたわけではありませんでした。
店でも英国展でも、お客様が商品を見ながら、
「何がおすすめですか?」
と聞かれることがよくありました。
もちろん、聞いていただけるのは有り難いんです。
でも、そのたびに思っていました。
「自分が逆の立場だったら、何を買えばいいか分からないかもしれないな」
そんな状況なのに、少しずつファッジを買ってくださる人が増えてきました。
最初は英国展で。
そして、英国展で買ってくださった方が、オンラインストアでも買ってくださるようになりました。
関東にお住まいのお客様が多かったこともあり、オンラインでの購入にもつながっていったんです。
「あれ? ファッジ、思っていたより反応があるな」
そう思うようになりました。
そこで、お店でもファッジの試食を始めてみました。
すると、また反応が変わったんです。
「えっ!」
「なにこれ!」
と、悲鳴に近い声が上がる。
そして、一緒に来ていた人をわざわざ呼んで、
「ちょっと、あんたもこれ食べてみんさい」
とすすめてくれることもありました。
そのとき、ようやく気づきました。
ファッジが売れないんじゃない。
ファッジを知らないから、買えないんだ。
そもそも、ノムさん自身がファッジを前に出していませんでした。
食べてもらってもいませんでした。
どんなお菓子なのか、伝えてもいませんでした。
それなのに「ファッジは売れない」と思っていた。
、、、いや、それはファッジのせいじゃないでしょ(笑)。
そこから「ファッジを一番にする」旅が始まりました。
まず、定番フレーバーを12種類から4種類に絞りました。
「もっと増やしたほうがお客様は喜ぶんじゃないか」
以前はそう考えていました。
今は、まずこう考えます。
「これはOHISAMAのファッジの世界を伝えるものか?」
その視点ができたからこそ、思い切って絞れました。
ただ、SNSはまだ試行錯誤中です。
いまだにいろんなことを投稿しています。
まだ「ファッジ一本!」とは言えません(笑)。
でも、ブログだけは決めました。
ファッジを書く。
とにかく、ファッジを書く。
作り方だけじゃない。
英国のこと。
歴史のこと。
食べ方のこと。
僕が英国で見てきたこと。
OHISAMAで作ってきたこと。
まだ知られていないからこそ、書けることがたくさんあります。
写真も変わりました。
ただ商品を置いて撮るだけじゃなくて、
「これくらいの大きさなんだ」
「手に持つとこれくらいなんだ」
「中身はこうなっているんだ」
と、初めての人にも分かる写真を増やしました。
ギフトも作りました。
ロゴも変えました。
かっこいいロゴを作りたい、というだけではなく、
「OHISAMAを見たらファッジを思い出してもらいたい」
という気持ちが、前よりずっと強くなったんです。
気がついたら、ファッジのためにお金と時間を使うことをためらわなくなっていました。
英国への勉強の仕方も変わりました。
以前なら、英国に行ったら、
「このお菓子も見たい」
「あの店にも行きたい」
「このレシピも知りたい」
と、あれこれ回っていたと思います。
でも、6月の英国研修は違いました。
ファッジ、とにかくファッジ。
レンタカーを走らせて、ファッジショップを探す。
飛行機にも乗って、ファッジショップに行く。
店主さんに話を聞く。
また次の店へ行く。
これ、ファッジに絞っていなかったら、たぶんやっていません(笑)。
一番変わったのは、時間の使い方かもしれません。
今は何かを始めるとき、
「これ、ファッジを知ってもらうことにつながるかな?」
と考えるようになりました。
つながるならやる。
つながらないなら、やらない。
以前の僕なら、「お客様のためになるかもしれない」で始めていたことも、今は一度立ち止まるようになりました。
これは、ファッジに関係することしかやらない、という意味ではありません。
ファッジから始まる、英国菓子とのティータイムにつながるか。
そこを考えるようになった、ということです。
じゃあ、ノムさんはスコーンをやったことを失敗だったと思っているのか。
いえいえ、まったく思っていません。
ウェルシュケーキを作ったことも。
流行の商品を追いかけたことも。
新商品を山ほど作ったことも。
16年間、いろんなことをやってきたからこそ、今の自分があります。
じゃあ、ノムさんがファッジ作りで最初に失敗したことは何だったのか。
ファッジ以外のお菓子を作ったことではありません。
せっかくファッジを作り始めたのに、ファッジが何者なのか、自分自身がまだ分かっていなかったことです。
だから、その可能性を信じ切れなかった。
最初は「英国菓子の一つ」くらいにしか思っていませんでした。
それで、何も考えずにスコーンの隣に置いた。
売れなければ「まだ知られていないからかな」と思うだけでした。
でも、16年間いろんなことをやってきたからこそ、今は少し分かります。
スコーンをやったから、スコーンの強さが分かった。
ウェルシュケーキをやったから、知られていない英国菓子を伝える面白さが分かった。
流行の商品をやったから、流行が終わったあとに残るものの大切さが分かった。
いろんな商品を作ったからこそ、
「何でもできること」と「何をやる店なのか分かること」は、別なんだと分かりました。
だから今、ファッジを一番に置いています。
ファッジ以外をやめたいからではありません。
ファッジを入口にして、英国菓子のあるティータイムを知ってもらいたいからです。
そして、その先にOHISAMAを知ってもらえたらいい。
まだ「ファッジを一番にした」と言ってから、ほんの数週間。
これからどうなるかは、ノムさんにもまだ分かりません。
でも、少なくとも今までとは違います。
「何を作ろう?」ではなく、「ファッジを知ってもらうために、何をしよう?」と考えるようになりました。
それだけでも、ノムさんにとっては大きな変化なんです。
不安と期待が入り混じる、OHISAMAだけに夜明け前の気持なんです。
書いている人 ノムさん
広島生まれ。英国菓子と紅茶のある暮らしOHISAMA代表。
公務員の家庭に育ち、大学を卒業後は食品会社に就職。一念発起して会社を退職し、宮島でパン屋を創業したものの繁忙期と閑散期のギャップから体調を崩し僅か5年で離島。その後、業種を変えながら再起を図るもうまくいかず、借金が2,500万円まで膨れ上がる。
これが最後の挑戦と覚悟を決め、安定した人気のスコーンを深堀りしていくことに。すると、その原点であるスコットランドのスクーン城にたどり着き、そこから英国菓子に興味が広がっていく。何世紀も変わらないレシピや伝統といった神秘性にハマり、店では全然売れなかったがとにかく作り続けて、売れ残ったものを食べる日々を過ごす。
そんなある日、東京の英国展に招待されてから人生が大きく動き始める。広島でも英国菓子が売れ始め、中でもファッジは借金を完済できるようになるまで経営の柱に成長。今では英国へファッジの取材へ行ったり、ファッジの歴史を調べることが大きな生きがいになっている。
