2026/10/14 10:00

1. 人の役に立ちたくて、パン屋を始めた
ノムさんは、もともとファッジを作っていたわけではありません。
40歳になって、宮島でパン屋を始めました。
なぜパン屋だったのか。
母が料理好きだったことに影響を受けたことは間違いありません。
それから昭和一桁生まれの父が、休みの日によくパンを焼いてくれたことはもっと影響を受けたかもしれません。
普通の公務員だった父が、いったいどこでパン作りを覚えたんだろうといつも不思議でした(笑)。
そんな記憶が、頭の片隅にずっと残っていてパン屋になることを思いついたのかもしれません。
でもパン屋を始めた理由は、パンが好きだったからだけではありませんでした。
宮島に渡り、そこで暮らす人たちの話を聞いていると、買い物や食事の準備が不便だという声がありました。
「野菜を買ったら、持って帰るのに重たいんよ」
「木造の長屋が多いから、歳をとって火を使う料理は怖いからねえ」
だったら、パン屋を作れば解決できるんじゃないか。
そう考えたわけです。
宮島特産の杓子を作るときに出る木の端材も、島内で処分するには手間もお金もかかります。
それなら、その端材を燃やしてパンを焼く石窯を作ろう。
ゴミも出なくなるし一石二鳥ではないか。
今思えば、ずいぶん大がかりなことを考えたものです(笑)。
問題は、ノムさんがよそ者だったことです。
最初は誰も相手にしてくれません。
それで島の公民館で開催される様々な催し物に事あるごとに参加し、知り合いを作っていきました。
するとノムさんを応援してくれる人が、島内に徐々に増えていきました。
ある人は、パン屋をしてもいい物件の所有者を紹介してくれました。
工務店のおじいさんは、石壁や階段用の使っていない石を譲ってくれました。
そのついでに、石に穴をあけて切断するためのドリルやくさびも貸してくれて、ついでに300㎏以上ある石を持ち上げるためのチェーンブロックまで無償で貸してくれました。
石窯づくりとは全然関係ないガス屋さんなんて、島のずっと西に置いてある石を運ぶための軽トラックを何日も貸してくれました。
そんな奇跡のようなことが次々と起こりました。
本当にいろんな人に助けられて、無事にパン屋をオープンすることができたのです。
お客様が増えるまで苦労はありましたが、当時は人の役に立てることが何よりのモチベーションでした。
お客様から「ありがとう」と言ってもらえる。
それが、毎日頑張り続けられた理由でした。
2. 何のために働いているのか、分からなくなった
ただ宮島でのパン屋は、毎日17時間働くような生活でした。
「人の役に立ちたい」
その思いで頑張っていましたが、けがや病気が増え、臨時休業する日も次第に増えていきました。
このままでは長く続けられない、、、。
悩んだ末に、開業するまで応援してくださった方や、常連のお客様に志半ばで宮島を離れることをお詫びして回りました。
開業して6年目のことです。
その後、今の場所に移転し、次に始めたのがベーカリーレストランでした。
自分が作ったパンや料理を、お客様が目の前で食べてくれる。
おいしいという反応が、その場ですぐに分かる。
宮島ではできなかった、そんな仕事ができたら素晴らしいと思ったのです。
ところが、移転して始めたお店は、次第にうまくいかなくなりました。
宮島では、困っている人たちのためにパンを焼いていました。
でも、新しい場所では事情が違いました。
近所にはスーパーもパン屋もたくさんあります。
宮島で聞いたような悩みを抱えている人がいたとしても、ほかに解決する手段がありました。
わざわざOHISAMAに来る理由がなかったのです。
ノムさんだからこそ解決できる問題を、見つけられなかったのです。
気がつけば、毎日考えているのは売上と利益のことばかり。
競合が現れて売上が落ちれば、競合のせいだと思う。
どうすればほかのお店と違いを出せるのかと、周りのことばかり気にするようになりました。
最初のベーカリーレストランが傾き始めたとき、次の手は考えていませんでした。
お金がなくなっていく恐怖で、体重は1か月で10kg落ちました。
まさか、こんなことになるとは夢にも思っていませんでした。
「友だちともう二度と会えなくなるなあ」
「離婚して家族がバラバラになるかもなあ」
そんなことばかり考えて、完全に思考停止に陥りました。
どうやって抜け出したらいいのか。
正直、先のことを考えるどころか、顔を上げることさえできませんでした。
3. スコーンから、英国菓子の物語へ
何か手を打たないとこのままでは本当に倒産してしまうと思い、原点に立ち返ってパン屋に戻ることにしました。
けれどパンはパン屋だけでなく、コンビニやスーパーでも売られていたので何か特徴が必要でした。
それで食パンとサンドイッチを作るお店にリニューアルしました。
自家製酵母で発酵させた生地を石窯で焼いた食パンは、自分で言うのもなんですが今のファッジくらい味に自信がありました。
その食パンで作るサンドイッチのうち、本物の生クリームで作ったフルーツサンドが爆発的にヒットしたんですね。
メディアにも取り上げていただいたおかげでV字回復し、作っても作っても追いつかない日々が2年ほど続きました。
しかし急成長には必ず反動があります。
あっという間に売れなくなりました。
結局のところ、フルーツサンドは流行り物だったんですね。
ただノムさんはちょっと冷静にこのことを見ていました。
フルーツサンドは一見すると失敗かもしれませんが、本物の材料で丁寧に作るとお客様に美味しさがちゃんと伝わって支持されることがよくわかりました。
特に材料が食パンと生クリームと新鮮な果物の3つだけというシンプルさが、「ごまかしがきかない」という後のファッジ作りの考え方を決定づけたことは収穫でした。
とは言っても、のんきにそんな解説をしている場合ではありません。
またお店が傾き始めました(笑)。
そんな中、ひとつ気になることがありました。
スコーンだけはやめずに作っていたのですが、それがなぜか売れ続けていたのです。
OHISAMAのスコーンは、小麦も、バターも、生クリームも、国産品で作っているので、やっぱり味には自信がありました。
フルーツサンドと違うのは、10年もずっと買ってもらえていたことです。
ノムさんはそこにかけてみることにしました。
ただ、簡単には切り替えられませんでした。
パン屋をするために経験を積み、時間もお金もかけてきたからです。
移転したときには、銀行から借り入れをして、何百万円もかけて石窯まで作りました。
それなのに、パンを置いてスコーンに力を入れる?
今までやってきたことは何だったんだろう。
経験があることは強みになると思っていましたが、このときばかりは、経験が決断のじゃまをしていました。
でも、背に腹は代えられません。
スコーンを極めようというより、スコーンにすがる決断をしました。
スコーンの種類を増やそうと、レシピ本を読み漁りました。
読み進めていくうちに、スコーンが英国菓子の仲間であることを知ります。
その瞬間、頭の中に光が差したようでした。
スコーンのことを調べていたはずなのに、いつの間にか英国菓子の世界に夢中になっていました。
面白かったのは、お菓子そのものだけではありません。
ひとつひとつに歴史があり、土地とのつながりがあり、長い時間をかけて受け継がれてきた物語がある。
流行っているものを追いかけては、うまくいかなかった自分。
それなら、何十年、何百年と愛されてきたものを仕事にしてみたい。
そう決めるのに、時間はかかりませんでした。
ただ、英国菓子一筋でやってきた人たちと比べれば、経験も知識も足りません。
だからこそ、英国まで行って学ぼうと思いました。
時間の差は埋められなくても、情熱なら負けないかもしれない。
しかし、このときのノムさんは、まだファッジに人生をかけることになるとは、想像もしていませんでした。
4. 最初は「たっか!」と思って買わなかったファッジ
ファッジを初めて見たのは、英国菓子屋になる前のことです。
英国菓子を調べ始めるよりも前、大阪のあるティールームで見かけました。
そのときの感想は、
「たっか!」
「ファッジって初めて見たけど、誰が買うん?」
そして、本当に買いませんでした(笑)。
こんな出会いだったので、すぐに忘れてしまったのです。
ところが、英国菓子屋になって8か月ほど経った2024年8月、日本橋三越英国展に招待されました。
そこで、英国ブランドのファッジショップを2つ見かけたのです。
「あれ、これって前に大阪で見たお菓子だ」
「英国展に出店するくらいだから、ひょっとすると英国では有名なお菓子なのかもしれない」
そう思って、広島に帰ってから自分で作ってみました。
最初に作ったのは、ミルクバターファッジ。
食感には多少のムラがあったものの、今のものと変わらない味に仕上がりました。
まあとにかく、美味しかった。
「こんなに美味しいものを、自分で作れるんだ!」
自分で自分に感動しました(笑)。
それまで英国菓子をお客様に紹介するときは、「英国菓子って面白いでしょう」とすすめていました。
見た目が地味なものも多いし、スパイスを使ったお菓子も結構あります。
日本の人には、ちょっとなじみにくいかもしれないと思っていたからです。
でも、ファッジは違いました。
「美味しいでしょう!」
自信を持ってすすめられるお菓子に出会ってしまったのです。
自分では買わなかったのに、自分で作って食べたら、あっという間に夢中になりました。
ノムさんのファッジ人生は、ここから始まりました。
5. 美味しいものを作るだけでは、伝わらなかった
ファッジに惚れ込んだからといって、すぐにファッジ一本でやっていこうと考えたわけではありません。
当時は、英国菓子のひとつとしてファッジを販売していました。
スコーンは安定して売れている。
ほかにも英国菓子はいろいろある。
ファッジは小麦粉を使わないお菓子だし、いつもの買い物にもうひとつ加えてもらえたらいい。
その程度の感覚でした。
ところが、ファッジは思うようにお客様の手に取ってもらえません。
今なら、その理由がよく分かります。
そもそも、ファッジというお菓子の存在を知らない。
どんな味なのかも分からない。
どうやって食べるのかも分からない。
知らないものを買うのは、勇気がいるんですよね(大阪でファッジを買わなかったくせに誰が言うのか)。
こちらは「こんなに美味しいんですよ」と信じ切っています。
でもお客様には、その美味しさを知るきっかけがありません。
そんなことは棚に上げて、ノムさんは一度買ってくれたことのあるお客様のために、新作づくりに励んでいました。
「新しい」というだけで売れたからです。
その一方で、新作を出せない状態が続けば、このままゆるやかに終わっていくんだろうな。
そんな不安も抱えていました。
作り続けないと、不安に押しつぶされそうだったのです。
だから、新しい味を求め続けました。
でも本当に必要だったのは、ただ新しいファッジを作ることではありませんでした。
なぜ知られていないのか。
なぜ買ってもらえないのか。
どうすれば、このお菓子の魅力が伝わるのか。
そこを一番に考えなければいけなかったのです。
6. ファッジを一番にする
経営の勉強をしていたとき、ひとつの考えに行き着きました。
資本力のないお店が、「何でも屋」になって成功するのは難しいのです。
うまくいっているお店には、はっきりした個性があります。
英国展でも、あの店といえばスコーン。
この店といえばアフタヌーンティー。
フィッシュアンドチップスや紅茶も、それぞれの専門性を打ち出しているお店があります。
だったら、OHISAMAは何のお店なのか、、、。
答えは、ファッジでした。
実際、一番買ってもらえていたのもファッジだったからです。
もちろん、ファッジに絞ることへの不安は今でもあります。
ほかの英国菓子も作っているのに、ファッジに絞って大丈夫なのか。
知らない人が多いのにそこに集中して、またこけるようなことにならないのか(笑)。
今でも葛藤はあります。
でも、ファッジを知らない人が多いからこそ、日本には大きな余白があるとも思うんです。
英国のファッジショップを巡る旅で見たもの。
土地ごとの風景。
職人たちの思い。
日常の中でファッジを楽しむ人たち。
帰国したら、話したいファッジの魅力が山ほどありました。
ところが、英国菓子全体の中にファッジを置いていると、その話を十分に伝えられません。
もちろん、SNSに書くことはできます。
でも残念ながら、埋もれてしまうんです。
ある日はケーキの新作について。
ある日は英国展の予告。
またある日はビスケットの裏話、カレンダーの告知。
話題があり過ぎて、ファッジは月に1回か2回、書けるか書けないか。
写真も同じです。
ファッジの存在をもっと目立たせたい。
ファッジのことをもっと知ってもらいたい。
日に日にその思いが強くなり、気がつくと、ホームページやオンラインストアでファッジを一番上に置いていました。
商品やロゴ、パッケージも見直しました。
ただファッジを売るのではなく、ファッジのある暮らしや、英国のお菓子の背景まで伝えていく。
作ることに夢中だったノムさんは、少しずつ、伝えることにも夢中になっていきました。
7. 応援団と、その先へ
最近、オンラインストアのお客様から、うれしい言葉を聞くようになりました。
「ファッジの布教を頑張ります」。
布教ですよ(笑)。
ファッジを買ってくださるだけでなく、誰かにすすめてくれているんです。
大袋を買って小分けにして配ってくださったり、ギフトに選んでくださったりしながら。
メッセージを何度もやり取りするうちに、住んでいる場所の話や、ファッジの食べ方の話も聞かせてもらえるようになりました。
店頭での接客時間は、どうしても一瞬です。
でも、オンラインでは何度も言葉を交わすことができます。
そういうやり取りの中に、宮島でパン屋をしていた頃の喜びがありました。
人に喜んでもらいたい。
誰かの暮らしに、ちょっと役に立ちたい。
その気持ちは、昔から変わっていません。
ノムさんが目指しているのは、OHISAMAだけがファッジを売る世界ではありません。
全国のティールームでもファッジが作られるようになって、紅茶と一緒にファッジが楽しめる。
家でも気軽に食べられる。
バレンタインデーのような行事にも選ばれる。
そんな未来が来たら、ファッジはもっと普通のお菓子になっているはずです。
そして、もうひとつ夢があります。
英国のファッジショップのように、100年続くお店を作ってみたい。
ファッジだけでです。
簡単なことではないに決まっています。
でも、ファッジを好きになってくれる人や、誰かにすすめてくれる人が増えたら、ノムさん一人ではできないこともできるかもしれません。
布教活動(何度書いても面白いですね)をがんばってくれているお客様の熱い声を聞かせてもらっているといつか、想像もしなかった場所へたどり着ける気がしてなりません。
つい3年前までファッジを知らなかったノムさんが、ここまで来ました。
これから、どんな人と出会えるのか。
どこまで行けるのか。
ノムさん自身も、まだ分かりません。
だからこそ、ワクワクしています。
一緒に面白がってくれる応援団員を募集しています。
書いている人 ノムさん
広島生まれ。英国菓子と紅茶のある暮らしOHISAMA代表。
公務員の家庭に育ち、大学を卒業後は食品会社に就職。一念発起して会社を退職し、宮島でパン屋を創業したものの繁忙期と閑散期のギャップから体調を崩し僅か5年で離島。その後、業種を変えながら再起を図るもうまくいかず、借金が2,500万円まで膨れ上がる。
これが最後の挑戦と覚悟を決め、安定した人気のスコーンを深堀りしていくことに。すると、その原点であるスコットランドのスクーン城にたどり着き、そこから英国菓子に興味が広がっていく。何世紀も変わらないレシピや伝統といった神秘性にハマり、店では全然売れなかったがとにかく作り続けて、売れ残ったものを食べる日々を過ごす。
そんなある日、東京の英国展に招待されてから人生が大きく動き始める。広島でも英国菓子が売れ始め、中でもファッジは借金を完済できるようになるまで経営の柱に成長。今では英国へファッジの取材へ行ったり、ファッジの歴史を調べることが大きな生きがいになっている。
